今回もなんどもなんども氣空術ができた。
面白いようにできた。
前回が、偶然でないことを証明することができました。
仲間と再現することができたのです。
でも、それには条件があるように思われます。
前回、技がかかるし、かけてもらえるし、とっても面白いお稽古になりました。
今回、始めるにあたって状況が違いました。
周囲に、他の武道、武術のお稽古をしている人たちがたくさんいました。
その人たちの視線がすごく気になります。
他の人たちは、そこの会場の常連さんのようです。
なので、たまたま集まった私たちを興味深げな視線を向けていました。
私は気になる人もいて、耳、目から入る情報で、私の頭も心もざわざわしてしまいました。
こんな状態では氣空術ができるわけがありません。
仲間のサポートもあって、だんだんと氣空術のお稽古に集中できるようになってきました。
私ひとりでもざわざわすれば、仲間の練習にも反応が出てきます。
見た目、いつもと変わらなくても、心の状態は私の身体に必ず出て、それが仲間に影響がでます。
以前のように、周囲を気にせず、それでいて周囲全体を見渡せるようになり、そんな感じになると、技がバンバンかかります。
遠山の目付けというのはこういう感じだろうな・・体感しました。
そこで、やってやろうという気持ちでなくても、覚えようとか、これはどういう角度かとか、方向を変えたらどうなるのかとか、頭を使った瞬間・・技ができなくなる・・・
その時の視界はクリアです。
遠山の目付けもなくなっています。
やってやろうという思いがなくても、頭を使い出したら、だんだんと視界がクリアになってきて、技ができなくなる前触れ・・。
こんな体感ができるのは、氣空術を信じて、仲間を信じて、自分を信じられるようになったからです。
疑っていたらできませんね。
仲間も、自分も、当たり前ですが氣空術のことも。
思いが身体に現れます。
微細な感覚の世界の氣空術には、1点の曇りがあっては出来ないのではないだろうか。
会長の仰る、「誰にでもできる、簡単にできる」というのは、
その一点の曇りを消しさえすればいいのではないだろうか。
その曇りを消すのは自分です。
透明な心になったとき、氣空術が現れるのではないだろうか。
問題も答えも自分のなかにありました
今、私はそう感じています。
和道ヨガのテキストに
「身体の異常のほとんどが、心の影響です。」と書かれています。
病気になる前の、身体の変化を読み取るには、氣空術がとても役立ちます!!
そして、心のあり方が心身からその場の空気にも影響します。
札幌支部稽古を開催するにあたって、いいお稽古の場は作るためにも、心のあり方を大切にしていこうと改めて感じました。
心のあり方を学べる氣空術は
全てに通じます!
全てに活かせます!